日本語は美しい
Published by 松原幸行,
文化はその国の語彙の豊かさに垣間みることができる。語彙が豊かに存在する事物には文化が根深く宿っている。
例えば谷崎潤一郎の『陰影礼讃(いんえいらいさん)[1]』という本には、光の陰影が日本文化と関係が深いという論調で一貫している。これをヒントに少し事例をあげよう。
時間的な経過についての好例は「早朝」である。日本には早朝を表す言葉がたくさんある。時間の経過とともに並べてみると次のようになる[2]。
- 暁(あかつき:夜明け直前のうす明るさ)↓
- 朝焼け時(日の出前に東の空が赤く染まる時)↓
- 東雲(しののめ:夜明け時分)↓
- 朝影(あさかげ:朝の日の光)↓
- 曙(あけぼの:夜明け直後の薄明かるさ)↓
- 朝朗(あさぼらけ:夜がほんのりと明けて物がほのかに見えるころ)↓
- 有明(ありあけ:夜が空けても月が残っている時間)
それら早朝の後が「朝」で正午までの時間帯となる。
なお、「暁」には、密会した男女が別れる辛く苦しい気持ちが含意されている。
これらの日本語に対して英語では「Sunrise」一語だけでその後はずっと「Morning」である[3]。早朝をあえて英語で言えば「Early Morning」であるが即物的で味も素っ気もない。
早朝の微妙な空気感を言うとすれば「Magic Hour」と言うしかない。おぼろげな明るさは「Vague brightness」というがロウソクの明かりなども含んでしまう。
夕方、昼間から夜に変わる時間帯、周囲がグレーに染まり存在が変わる瞬間がある。俗に言う「たそがれ時」である。
ここにも「薄暮(はくぼ)」という美しい言葉がある。薄暮とは、太陽が沈んだ直後で周囲がよく見えない時を指す。英語ではやはりMagic Hourを使うが、どうマジックなのかが分からない。美しい言葉という意味ではやはり「薄暮」の方が詩情的である。
まさに語彙の豊富さが文化と関係している証拠である。語彙の豊かさに着目することで文化への理解も深まるといえる。
日本文化は、"日本人の行動"という側面でも特異なものがある。
「方違え(かたたがえ)」という行動があるが、これは、<行き先の方角が悪い時、前日は吉方に泊まり、翌朝そこから目的地へおももく>、というものである。陰陽思想の基づいている。
日本人は、お正月に初詣と称して神社に行き、死んだら仏となる。山や森には鎮守様がいて祖先には氏神様がいるが、結婚式は仏前で行ったりする。いわゆる「神仏習合」である。これが一神道の外国人にはなかなか理解できない。
また日常的な行動で「打ち合わせ」という言葉があるが、これは雅楽に由来している。
雅楽で使用する和楽器である「ビワ」や「笙(ショウ)」は洋楽器のような事前のチューニングができず、出番の直前に集まって音合わせをしなければならなかった。この音合わせのことを「打ち合わせ」というのである。
また和笛の笙は、和音程の「也(や)」と「毛(もう)」の音が出ない。音が出ないことから、融通がきかないことの例えとなり、「や」と「もう」で「やもう」が「やぼ」となまって「野暮」という言葉になったということである。
仕事の場面で、本番(本来は雅楽の演奏=現代ではプレゼン)を意識せずに、やみくもに打ち合わせを繰り返すことがあるが、これこそ野暮であると言えまいか。
Akiyoshi's Room - Akiyoshi's Room, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3263075による
参考情報
[1] 『陰影礼賛』谷崎潤一郎、 20か国語に翻訳され出版されている。
[3] アメリカは食肉嗜好が強い文化であるから「肉を焼く」言葉が豊富である。「Steak」「Barbecue」「grill」「Bake」「Roast」とたくさんあるのに対して、日本では「焼肉」の一語である。