英語化した日本語<Englisees>
Published by 松原幸行,
Kaizenという英語がある。
正確には日本語読みがそのまま英語になったものである。日本語風に略したり発音を読みやすくした英語をジャパリッシュ(Japalish)というから、日本語読みをそのまま使う作法は、さしずめ、イングリッシーズ(Englisees)か。(*Engliseesは筆者の造語)
Kaizen以外にも、Otaku、Zaibatsu、Zaitech、Karoshi、Zangyoなど結構多い[1]。『英語になった日本語』によると、和食や文化芸術なども含めると、英語化した日本語<Englisees>はたくさんある。Englisees化する理由は、英語圏内に存在しない概念や文化であり、つまり対応する言葉(英語)が無いからだ。
米国はトヨタからKaizenを学んだ。日々仕事を改善する習慣が無かったからである。日本語の「改善」は、<問題があるところを良くする>という意味である。英語ではImprovementだ。一方、トヨタの改善活動は、問題があろうが無かろうが、<既に上手くいっているモノを、さらにより良くする>活動だ。これを「Kaizen」と称して輸出したのである。日本にこの概念を逆輸入した場合は、元の「改善(Improvement)」と区別して「カイゼン」とカタカナ表記する場合が多い。
なお、トヨタは、あの看板方式も「Kanban」という言葉として輸出している。凄いことである。
Otakuをケンブリッジ辞典で引くと、「コンピュータやゲーム、アニメに熱烈な興味を持っている若い人」とあり、日本よりもポジティブな印象で受けとめられているようだ。
「過労死」や「残業」がEnglisees化しているのは悲しいことだ。欧米では仕事でストレスを溜め込んで、その過労がもとで亡くなってしまうようなことが無いから、英語を当てはめられず、Karoshiを使わざるを得なかったのだろう。Zangyoも同じである。
Senseiというのも面白い。日本では大学教授や中高校の教諭だけでなく、茶道の先生、絵画の先生、武道の先生、文筆家、詳論家など、様々な人を「先生」と呼ぶ。これは欧米には無い習慣である。そもそも初対面以外は、大学教授を 「Professor Takana」などとは呼ばない。たいていは、例えば名がTimothyなら「Tim」とか、あえて大袈裟に「Yes, Sir.」と言ったりする。
日本へ出張に来る欧米人は事前に日本文化や習慣の社内研修を受ける。この研修で、日本人を呼ぶ時は「さん」付けしろ、と習う。Tanaka-san、Saito-san、という感じだ。だから彼/彼女らのメール文も、「Mr. Tanaka」ではなく「Tanaka-san」で始まる。
文化的に言えば「カワイイ」も英語に置き換えられない言葉だと思う。現にオックスフォード辞典には「Kawaii」が修められているが、「the quality of being pretty and attractive」とあり正しく理解されていない気がする。カワイイの概念、文化的解釈についてはコラムを読んで欲しいが[2]、少なくても「Pretty」とか「Cute」というのとはニュアンスが異なる。
そのEngliseesに新たな言葉が加わろうとしている。それは「shachiku」である。
「社畜」とは嫌な言葉である。そこには自己実現とか従業員満足度とかやり甲斐などというポジティブな響きは無い。やや開き直った自虐的な、あるいは軽蔑する気持ちが込められているような気がするが、なにもこれは最近の傾向ではない。
第二次世界大戦当時の日本で、焼夷弾の合間を見て会社に向かうサラリーマンが新聞記事となっている。安全に移動できない状況でも会社に向かうサラリーマンは、最近でも台風明けの超過密通勤などで指摘されており、戦中と同様である。「社畜体質」は昔からずっとあるのだ。
Engliseesという意味でUXデザインに一番関連が深い言葉は「感性」だろう。
感性を辞書で引くと、候補として、Emotion、Sensibility、Sensitivity、などが出てくる。Emotionは感情という意味合いが強く、Emotional Designというのは<感情を揺さぶるデザイン>という程度の意味合いであろう。Sensibilityは深い感覚とか感受性が高いことを指し、Sensitivityは感受性に近く「Sensitive person(神経質な人)」と言ったりする。感性に対応する英訳としてはどれもピッタリ感がない。
黒須正明氏もコラムで同様の指摘としていて[3]、「英語ならsensibilityあたりを使って、「ただし日本ではこういう意味合いがある」という説明をすれば良い」と述べている。ただ後半の"日本ではこういう意味合いがある"の部分が詳しく述べられていないので、やや悶々とする。このあたりの議論はなかなか収束しない。
私としては、SensibiityはSenseから派生した言葉であり、やはり「感覚」の意味合いが強いことから、賛成しかねる思いはある。感性と感覚は違う。ただ「Kansei」はまだ一般的ではなく、オックスフォード辞典にもケンブリッジ辞典にもまだ掲載されていない。結論としては黒須氏の指摘通りとなる。
少し補足すれば、「感性は、Sensibilityに近いが、共示的な意味合いを有する」というのはどうだろうかと思っている。英語で書けば「The meaning of Kansei is close to Sensibility, but it has a connotative meaning.」となる。共示(connotative)を使うのに抵抗がある場合は、「個人的・情感的・状況的な意味を持つ」としても良い。
早く「感性」の意味を定め、海外にも普及させて行きたいものである。
By Roger McLassus (User:Roger McLassus) - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=526222
参考情報
[1]「英語になった日本語」> https://eikaiwa.dmm.com/blog/39046/
[2]「カワイイ・サブカルチャー」> https://hidematsubara.wordpress.com/2013/08/28/カワイイ/
[3]「Kanseiという用語の使い方」> https://u-site.jp/lecture/kansei