AIと人の対話
Published by 松原幸行,
車の自動運転の話からはじめよう。
ドライバーが、車載AIの制御による自動運転を不満に感じた時に、ドライバー自身が介入する(AI制御を中断する)ことと、ドライバーの操作で安全が脅かされると判断した車載AIがドライバーの介入を阻むことを、どう統制するのであろうか。
両者(ドライバーと自動運転システム)をコントロールするのはAIになるのだが(ドライバーはAI制御システムの統制下にいる)、両者のコミュニケーションを最適化するのはかなり難しい。
AIが人の感情をどれだけくみ取れるのかという問題がある。まだ発展途上であるので、車のクローズドコトロールは頭は良いが信用できない。
車に乗っていて信号が青色から黄色に変わろうとする時、早目に止まる場合と思いきって行ってしまう場合の二通りがある。それは人によって異なる行動パターンというものではなく、一人の中でも、気持ちの余裕や微妙な状況の違いによって二通りがあるのだ。
たまたま交差点に知り合いがいたという場合もあるだろう。キャッチーな広告が気になりつい見てしまうという場合もあるだろう。そのような時は早目に停止しちょっと考えるかもしれない。
急いでいれば黄色でも走り抜けてしまうし、渋滞している時は少しでも前に進んでおこうと思うかもしれない。そんな状況に依存されうる行動を予測しつつ制御するなんてできるのだろうか。
AIでもこれらを判断するのは難しいであろう。いや、AIコンピュータが完璧に連携しあうシンギュラリティの時代(2045年頃)であれば可能かもしれない。しかし人間は気まぐれなので、意に沿わないと感じることも多々あるだろう。
それらをもろもろ考えると、レベル5の自動運転が実用化されるまでに人々の意識とか価値観も変えていかないといけないのかもしれない。
たとえば「十人十色」とか「オンリーワン」を美徳とするような従来の価値観は、AIの"両者を統制する制御パラダイム"から排除されるかもしれない。少なくても、人や従来型の製造方法が介入した「高くて融通が利かないモノ」となりニッチなものになっていくであろう。
AIが作るからといって、なにも歩留まりが良いだけの無味乾燥としたモノになるとは限らない。AIがデザインするモノでも創造的な魅力や合理性は十分そなわるはずだ。
しかもチョイスするのは人間である。
最近のニュースで、ベートーベンの未完の曲『交響曲第10番』をAIが完成させた、という記事を目にした[1]。記事によると、「ベートーベンの弦楽四重奏曲16作品を元にベートーベンの楽曲形式を学習させたAIアルゴリズムをもって、「BeethovANN Symphony 10.1.」と呼ばれる4分間の楽曲を生成[1]」させたという。
また、Microsoftとデルフト工科大学らが協働して"レンブラントの新作"を創り出したそうである[2]。
これもAIの一種であるディープラーニング(深層学習)に、色使いや陰影の付け方、レイアウトの特徴などを学習させて「レンブラントの作風」を再現したという[3]。オリジナル崇拝主義の立場からすれば邪道なのかもしれないが、AI時代の世の中では人間の目を楽しませる"美的な制作物"がつぎつぎと生み出されるのであろう。そこに可能性を求めるのもまた人間である。
レンブラント・ピール - このファイルの派生元: Rembrandt Peale - The Sisters (Eleanor and Rosalba Peale) - Google Art Project.jpg:, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=71261252による
参考情報
[1]「ベートーベンの未完交響曲「交響曲第10番」をAIが完成させ、演奏まで実現する」 - https://news.yahoo.co.jp/articles/30a445b7ad73b5aacf9c31135b8576c583ce441a
[2] "The Next Rembrandt" - https://www.nextrembrandt.com
[3]「AI(人工知能)は芸術作品を生み出せるのか?」 - https://mag.sweeep.ai/topic/78334/