“デザイン”について
Published by 松原幸行,
「Design」と「デザイン」の意味の違いが気になっている.
明治のはじめ英語のDesignを翻訳する際に「意匠」という言葉が当てはめられたことから,現在多くの人々が「デザイン=意匠(あるいは意匠設計)」と理解している.本来は「企画し設計する」という意味なのだが,「企画」という意味合いが薄まり,「表現」に趣がおかれる解釈となってしまった.デザイナー自身はもとより,周囲の開発者やマーケッターでも未だに誤解している人がいる.
たとえば,日本で著名なプロダクト・デザイナーでさえ(この言い方もすでに死語ではあるが)デザインの芸術的側面をおもんばかるあまり,主に追求しているのは美的象徴性であったり,造形美だったりする.また"とにかくシンプルにすること"と短絡的に捉えている人もいる.社内の要件定義書(要求仕様をシステム仕様に反映したもの.執筆者は主にシステム・エンジニア)にも,デザインの要件が「カッコいいデザイン」と述べられていることもあるくらいである.これでは要件が明確でないままでデザインが施されてしまう.本来は,どういうデザインにすべきかという記述が書かれるべきである(デザイナーが参画し執筆を分担する).
その後,「デザイナーがデザインするとコストが高くなる」などと,デザイン組織と開発設計組織の間に妙な対峙関係が生まれ,デザインという言葉から,「企画し設計する」という意味合いがさらに薄くなってしまった.不幸なことである.今こそ我々は,デザインの真の意味を再認識すべきと考える.それがUXデザインやデザイン思考に取り組む第一歩ではないか.
どうも,今までの日本のデザイン界は,プロダクト・デザインとかグラフィック・デザインというように,自ら守備範囲を限定して育ってきたところがあり,このマイナス面が出ているように思う.「プロダクト・デザイナーは,製品の意匠(色・形)を魅力的に再構築すればよい」と,モノをスタイリッシュに造る役割に自己統制してきた.米国のグラフィック・デザイナーで計算機科学者,大学教授,作家でもあるジョン・マエダ(John Maeda)氏はこれを「古典的な意味のデザイン」と称している.現代の解釈では,デザインを分野で細分化するやり方は,「古典的な考え方」ということになる.デザインといえば,「製品やシステムやサービスを企画し設計すること」なのであるから,製品やシステムやサービスの全体像を俯瞰的に理解できなければならない.デザイナーは,自らの役割を「モノの見え方から使い方や動作やユーザインタフェースの画面遷移に到るまで,トータルにデザインする人」と言ってもよいのである.
2000年代から発生したサービスデザインによって,UXデザイナーが出現し,いわゆるプロダクト・デザイナーや開発者達とクロスオーバーな役割遂行が始まると,プロダクト・デザイナーがUXデザイナーと対峙する関係になってしまうという,不幸な状況もみられるようになっている.今こそ,これまで分野別に存在してきたデザインを,総合的な役割に再定義し,再認識すべきである.昨今はさらに「デザイン思考」が普及し始めている.ここでいうデザインとは,企業の課題解決のプロセスにほかならない.デザイナーが,デザイン思考の社内への普及をリードしなければならない場面もある.そこでは,デザイナーの役割は,「企画・設計」から「経営・戦略」へと軸足が変わることを意味する.試練の時である.
"dmn_2018"さんのインスタグラムより引用(https://www.instagram.com/p/BYaoZZunk8e/?taken-by=dmn_2018)