デザインではなくDesign
Published by 松原幸行,
Appleでは「デザインとはいわゆるプロダクトデザインだけでなく <あらゆる顧客との接点のデザイン> を指す」とされる。
全ての <顧客との接点> を慎重にデザインするからこそ、他社が真似できない <魅力の品質> を実現できるのだ。サムソンもデザインレベルは近づいているが、一つの裁判例がその差を如実に示している。
Appleは、サムスン電子を相手に2011年に起こしたデザイン訴訟したが、イギリス高等法院のコリン・ブリス判事は、『GALAXYは(表面上似せようとしていても)アップル製品のデザインが持つ控えめで究極のシンプルさはない』と提訴を退けた[1]。
これは、司法がAppleのデザインにお墨付きを与えたようなものだ。
いわば「控えめで究極のシンプルさ」が製品だけでなく、広告宣伝やパッケージや店舗など、顧客とのあらゆる接点に一貫して表現していることが価値なのである。
ここで湧く疑問は、あらゆる接点を一つの概念でデザインするにはどうしたら良いか、ということである。
それを従来のプロダクトデザインとかパッケージデザインとかインテリアデザインという専門領域に分けて行うと、調整や合議に多大なコストがかかる。デザインセンターという一つの組織があれば調整自体は不可能ということはないが、オーバーヘッドのコストが増えることには変わりがない。
Appleではこれをジョナサン・アイブという一人のデザイナーで担保していたわけだが、日本でも専門領域を持たないインハウスデザイナーが出てきても良い。いわば「統合型デザイン」という意味での「Design」である。
なお、最近、BMWがロゴを変更したが[2]、これもビジョンを端的に表し、デジタル時代へ対応する行為として理にかなったものである。フラットデザインはデジタル化の方向性を加速する。
ロゴもUIも外観もワン・マネジメントで行えれば効率的だしストレートだ。だが部門長という役職がそのDesignのデザイン力を担保できる訳ではない。
そこで次善の策は次の2つである。
- ロゴとUIと外観の各セクションが合議でデザインする。
- Designをコンピタンスと捉え、そのコンピタンスを有した者にデシジョンの権限を与える。
1は先の繰り返しの通りオーバーヘッドのコストがかかり非効率性が解消されない。2はチャレンジャブルだが、真のDesignerを発掘するという意味での人材育成と日本的なデザインの閉塞感を打破できる可能性がある。
日本流アイブを育てる意味からもコンピタンスオリエンテッドなアプローチは捨てがたいと思うがいかがであろうか。
TGspot.co.il - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=87391617による
参考情報
[1]「アップルのデザインはなぜ真似できないのか」> https://diamond.jp/articles/-/227438?page=4