エスノグラフィについて
Published by 松原幸行,
HCD活動において,人間中心デザイナーがユーザーの現場に滞在し,ユーザーの利用状況や想いをくみ取りながらユーザー欲求への理解を深め,製品やサービスのデザインに役立てる調査研究手法を「エスノグラフィ」と言う.エスノグラフィは元々は文化人類学分野の研究手法だったが,1960年代頃から建築やシステム開発など取り入れられるようになり,普及してきた.当時はユーザーを開発現場に招き入れて直接ヒアリングしたり,デザイン案について意見を聞いたりするやり方が主流だった.1987年に,スザンナ・ベズカー氏(Susanne Bødker)らが報告した「ユートピアプロジェクト[1]」で,初めて経験というものに着目されるようになり,その後,組織活動について選択肢を考慮するための手法としてエスノグラフィが応用された.
エスノグラフィは,ユーザー観察を軸にしているという意味においてHCD活動であり,パーティシパトリーデザインでもある(注:パーティシパトリーデザインは目的をデザインに置いている).ユーザーの観察という行為から離れ,より積極的にユーザーに開発行為を解放し,デザインの決定自身をユーザーにゆだねるものを「ユーザデザイン(User Design)」と言う[2].Wikipediaのコンテンツはユーザデザインの好例である.オリジナルなデザインでTシャツの柄をカスタマイズできるサービスもある.一方,ユーザーと研究者・開発者が協働してデザインを行う活動を「コ・デザイン(Co-design)」と言う.
ユーザーを開発現場に招き入れることに対して,HCD活動の従事者が積極的にユーザーの現場に関わり合う手法が出てきた,これはエンパシック・デザイン(Empathic Design,日本語で共感型デザインという)と呼ばれる[3].いずれの場合も開発すべきものを決める段階で、直接ユーザーの意見を反映させる試みであると言える.
モノの開発は研究者や開発者に主体があるとされているが,しかし本来,HCDそのものはユーザーの側に主体がある.ユーザーと共に新しい経験価値を創造し,ユーザー主体で作り出していく試みが提唱されている.この中で課題となるものは次の3つであろう.
①ユーザーが実際に経験可能な「現実的な経験」を提示できるか.
②ユーザーにとって適切な経験を容易に選択できるか.
③ユーザーの個人的な志向・願望などを組み込む余地をいかに残すか.
これらに適切に対応するためには,コンピュータリテラシーの低いユーザーでも表現可能な方法として,スケッチやレゴ,またはパズルゲームなどのようなやり方が有効である.またそのアイディアを可視化するためには,3Dプリンタやレーザーカッター類,またはコーディング不要のウェブサイト自動生成ツールなどが有効である.また経験の全体的な流れについては経験全体のシナリオを示す「エクスペリエンス・マップ」のようなツールの活用が有効である.
エスノグラフィから派生した活動で「ビジネスエスノグラフィ」というものがあるが,これはエスノグラフィをビジネスドリブンのツールとして位置づけるものである[4].実は,エスノグラフィを数日間〜1週間のレベルで行ってもユーザーのインサイトを得るのはなかなか難しいのだが(勘違いを産みやすいとも言われる),既知の市場であれば,“やらないよりはまし"という程度においては有効であろう(未知の市場に適用してはいけない).
いづれにしても,期間が十分な取れないエスノグラフィの場合は,真のインサイトかどうかは慎重に見極める必要がある.
参考情報
[1] UTOPIA: Participatory Design from Scandinavia to the World https://www.researchgate.net/publication/221271354_UTOPIA_Participatory_Design_from_Scandinavia_to_the_World
[2] ユーザデザイン:※右のURLはWebページが開かず直ちにダウンロードします.https://www.j-mac.or.jp/mj/download.php?file_id=363
[3] エンパシック・デザイン:Empathic Design(共感型デザイン)とは、研究者や開発者がエンドユーザーの世界に入り込む形でコ・デザインを行う手法である。https://en.m.wikipedia.org/wiki/Empathic_design
[4] ビジネス・エスノグラフィの実践と展望 : 人間中心イノベーションに向けて https://ci.nii.ac.jp/naid/110008673668