仮想世界の体験 〜SFにみるエクスペリエンス〜

SF(Sience Fiction)というと、エイリアンとか宇宙船同士の戦闘シーンがまず思い浮かぶが、人の内面世界を舞台にしたストーリーも結構ある。そのようなSFは経験デザイン(特に先行経験デザイン)としても大変参考になる。

フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick)氏の『死の迷路』はその一例であり、素材的にも面白い。特筆すべきは、この物語が「仮想の経験」をテーマにしている事である。『死の迷宮』は1970年に書き下ろされた作品であるが、監視システムやAIコンピュータなど、現代社会で注目すべき技術が、先取りされる形で登場してくる。そこが興味深い点である。ちなみに『死の迷宮』はディックの代表作の一つである[1][2]。

ディックの関心事は、何年にもわたる惑星間移動におけるストレスからくる精神的な問題 ー極度の憔悴感とか孤独感ー であり、それをどう克服するかという事である。これらの障害が高じて、精神に異常をきたす人も出ると考えられ、その対処として登場するのが、<仮想の世界を体験する>というエピソードである。

主なストーリーは、ある星間移動している宇宙船内での出来事である。14人のクルーが、全員で「多脳性複合マインド」という人工的に作られた一つの仮想世界を共同体験する。その仮想世界では、「デルマクーO」という謎の惑星で募集している仕事に従事するために、各自が様々な方法により一人乗り宇宙船で惑星に到着し同流する、という設定になっている。

ストーリーのあちこちに、人間を監視する虫や、レーザー攻撃してくるミニチュアの建物や、近づくと遠ざかる蜃気楼のような建築物などが次々と登場する。中でも面白いのが、「テンチ」と呼ばれるゼリー状の生物。これは実はAIコンピューターである。クルーが知りたい事を紙に書いてテンチに読ませると、数秒後にテンチは回答を書いた紙を吐き出す。生物的な自律性をゼリーという有機質な素材で表現しているところも面白い。ゼリーは常にぷよぷよと動いている[3]。

次に興味深いのは、「仮想世界の体験」というテーマそのもので、これは、同じディックの『トータルリコール』という短編でも採用されている。こちらの方は映画にもなったし、よりドラマチックにストーリーが展開する。

特に『死の迷路』が面白いのは、クルー14人が"全員で"一つのエピソードを体験するという点であり、その体験は数週間とか数ヶ月間続く。全員が同じ夢を見るような感じだ。「仮想世界の体験ストーリー」は、予め、全員でプロットや素材を議論し、つまり"仮想世界というUX"をデザインし、関連する情報を「多脳性複合マインド」コンピュータにインプットしておく。その上で長い眠りにつく。

仮想の体験から覚めるきっかけとなるあるキーワードがあるのだが、ここでは伏せる。そのキーワードをテンチと対話することで、体験から抜け出し現実世界、つまり宇宙船のクルーとしての世界へ戻ることになる。

もし現実世界で仮想世界の体験をサービスするとしたら、VRメガネなどを付けて映像やサウンドと連動するシートに腰掛けて経験するのであろうか。「10分間の宇宙旅行」などという程度のライトなものはすでにディズニーランドなどでも体験可能である。もう少し本格的に、『トータルリコール』に描かれたような長時間の体験となれば、精神治療の一貫で行うことも考えられるかもしれない。やはりSFは面白い。



SpaceX - Interplanetary Transport System, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=51812154による

参考情報
[1] フィリップ・K・ディックのおすすめSF小説7選 > https://300books.net/dick/
[2] 『死の迷宮』> https://books.google.co.jp/books/about/死の迷路.html?id=UrM-DAAAQBAJ&printsec=frontcover&source=kp_read_button&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false
[3] コラム「能動的な人工物」を参照 > https://hideyuki-matsubara.postach.io/post/neng-dong-de-naren-gong-wu