ー隅のUX
Published by 松原幸行,
「一隅を照らす」という言葉がある。日本天台宗の開祖・最澄の言葉である[1]。本コラムはやや禅問答のようになるが、ご了承願いたい。
「一隅」とは、世の中の片すみのことで、転じて、自分のやるべきこと、役割、という風に読み替える。つまり、「一隅を照らす」というのは、自分のやるべきことにベストを尽くすことで結果的に全体を良くすることができる、ということである。
"自分のやるべきこと"とはどういう事だろう。
・今は意に反してやりたくないことも我慢してやっているが、実はやるべきこと(やりたいこと)がある。
・自分がやるべきことはよく分からないので、とりあえず目の前の事をやっている。
・あまり先のことは考えず、今の役割を理解して懸命にやるだけだ。
様々な想いがあるだろう。最初のものは夢にも近く、やるべきことやりたいことが現実のプランとなっていない。次のものは、今しか見ておらず、現状に追われているとも言える。最後のものは、とても現実的合理的なとらえかたであり、理性的に対処しようとする大人の姿勢とみえる。
自分のやるべきことを見いだすのは難しい。見つかればそれが天職だと思うだろうし、自分探しが終わるとも言える。そしてそれは"一隅を見いだした"のである。
自分のやるべきことを見つける旅は「自分探し」であり、それ自体が経験である。自分の経験だから、UX風に言えばセルフエクスペリエンス(SX)である。
その上で、その"一隅を照らす"とは、自分のやるべきことをひたむきにやるということである。それが一番尊いことなのだ[2]。そうすれば報われるし、ひいては世のためにもなるという意味である。
自分の事なので利己的で良いが、一所懸命やることで他者の共感もよぶし、結果を評価する人もでてくる。そもそもそれを期待する人もいるわけだから、自ずと利他的にもなっていく。その一例が芸術やボランティアだろう。
スーパーボランティアと言われる尾畠春夫氏などまさに"一隅を照らす人"である。芸術界で言えば、北大路魯山人氏などは代表的な"一隅を照らす人"である。私も"一隅を照らす人"になりたいと心から思う。
A District of Vanderhoof volunteer firefighter alongside Fire Engine 12 responding to a working fire on Victoria Street on September 26, 2019.:~riley - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=83020126による
参考情報
[1] 日本天台宗の開祖・最澄の言葉「一隅を照らす、これ則ち国宝なり。」 >
[2] 「国宝なり」という言葉がそれを指している。