テレワークと知識創造

コロナ禍において求められるテレワーク。達成目標が先行し導入に苦慮する企業も多いと聞くが、いざスタートした後にも様々な問題が指摘されている。
今回はキヤノンのデザイン組織に所属する押本氏がこの問題に切り込み、『テレワークと知識創造』というテーマでコラムをご投稿いただいた。


アジャイル開発の現場には、「デイリースクラム」や「スプリントレトロスペクティブ」と呼ばれるものがある。これは、分断されがちな開発者間の知識共有や技術移転を行うための活動である。

現時点ではソフトウェア開発業に限られた動きであるが、今後、テレワークが一般化するにしたがってイノベーション、とりわけ知識創造の観点から、より多くの業種や組織において重要となる可能性が高い。

COVID-19の影響により、日本政府によりテレワークが推奨されるようになった。では、テレワークは労働者の働き方や生産性にどのような変化をもたらすであろうか。

本稿ではテレワークが一般化した状況において、「典型的な日本企業」がイノベーション、中でも知識創造を上手く進めていけるのか、という点について論じたい。

知識創造に関しては、野中・竹内(1996)らによって、戦後、なぜ日本企業が大きな成功を収めることが出来たのか、という問いに対して、「組織成員(個人)が作り出した知識を、組織全体のレベル・規模で、製品やサービス、業務システムに具現化できたからである」との仮説が述べられている。

そこでは、個人の暗黙知を起点として「表出化→連結化→内面化→共同化」のプロセスを辿る、いわゆる「SECIモデル」と呼ばれる組織的知識創造のスパイラルがあるとし、これを経ることによって、個人に蓄積された暗黙知が他の組織メンバーと共有され、さらに新しい知識創造スパイラルを生み出すことに繋がる、とされてきた。

ここで問題となるのは、「典型的な日本企業」が、従来の方法論のままテレワークに移行した場合、SECI モデルを構成する半数のプロセスが機能しなくなる恐れがあると考えられることだ。

機能不全に陥る恐れがあるそのひとつめは、「共同化」と呼ばれる「暗黙知→暗黙知」のプロセスである。ここでは、経験を共有することにより、メンタルモデルや技能の移転を行う。

その特徴として、ここでやり取りされる情報には、「職人のノウハウ」のような言語化が困難なものが多いことが挙げられる。このため、野中・竹内らは「場」の形成の重要性を説いている。

もうひとつは、「表出化」と呼ばれる「暗黙知→形式知」のプロセスである。

元来、イメージと言語とのあいだにはギャップが存在する。しかし、思い描いているイメージを適切に表現できない場合、人はメタファーやアナロジーを多用することにより、そのギャップを乗り越えようとする。

その際、ギャップがあるがゆえに送り手と受け手とのあいだで「対話」、あるいは多義的な解釈が生まれる。

そしてそれは、新しいものの見方や捉え方、コンセプト創造のきっかけともなる。したがって、もし「言語とは、思い描いているイメージを適切に表現できるものである」との前提に立った場合、貴重なコンセプト創造の機会を、意図せずに切り捨ててしまう恐れがあると考えられよう。

以上のことから、「典型的な日本企業」が従来の方法論のままテレワークに移行した場合、SECI モデルにおける「暗黙知が支配的な共同化、および表出化のプロセス」を減退させてしまう可能性が高い。

ただし、これをもってテレワークが全否定されるべきではない。

むしろ、当該組織の性格や、企業の業種・業態に応じて運用の可否や程度が柔軟に判断されるべきであろう。

たとえば「言語で伝達可能な知識・情報しか扱わない」企業があるとすれば、そのような組織では先に述べたリスクは相対的に小さくなる。逆に、発見や観察がイノベーションの源泉となるような組織では、リスクは極めて大きなものとなる。

そして、そのような組織では共同化や表出化のプロセスを、他の手段で補強・補完することが重要となるはずだ。そこでは、冒頭で述べたアジャイル開発における活動がヒントになるかもしれない。

COVID-19の影響に限らず、今後、働き方の多様化に伴ってテレワークの導入は一層進むだろう。そのような状況下でも企業が知識創造を推し進めるためには、「暗黙知」周辺の知識変換プロセスに対する正しい理解と適切な対応が不可欠になると考えられる。

(注:本稿は筆者の個人的見解であり、筆者の所属する組織等の見解ではありません。著者:押本信夫)


コメント:知識創造という情報プロセスの改善にアジャイル開発を結びつけた点はとてもユニークで面白い。
実際のアジャイル開発はリアルコミュニティにおけるワークスタイルだが、バーチャルコミュニティでスクラムやスプリントが成立したら良いのかもしれない。
「バーチャルオフィス」についてはコラム『DXとハンコの廃止』でも触れている。ご参考までに。(松原)

By Oregon Department of Transportation - Teleworking, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=95452413

参考文献:
[1]『知識創造企業』(1996)野中郁次郎, 竹内広高
[2]「スクラムと SECI モデルの関連を考えた」(2021)iucstscui, 「はんなりと、ゆるやかに」 - https://iucstscui.hatenablog.com/entry/2021/06/04/200305